我々は物質の新しい形態であるナノ物質に着目し研究を行っています。ナノ物質はその鍵となる大きさが1~10nm程度の物質であり、われわれが通常目にする大きさ(mmやcm)のバルク物質とも、単独の分子や原子(0.1nm≡Å)とも異なる性質を示します。しかもナノ物質の性質はそのサイズや形によって大きく変化することから、 物質の新しい可能性を引き出すことが可能です。我々はカーボンナノチューブやクラスターなどの新しいナノ物質を作り出すことと、ナノ物質の新しい特性を見いだすために、新しい生成方法・分析方法を開発し、この分野に切り込もうと考えています。
カーボンナノチューブとは炭素原子だけで構成された円柱状物質で直径が1~10nm程度、長さはmmにまで達する日本生まれの新物質です。nmの直径を持つため、ナノ物質の特性を持ちますが、長さはバルク物質のためナノ物質の特性を我々の住む世界に取り出すことが容易です。われわれはこのカーボンナノチューブの新しい生成・精製法を開発し、新しい構造と機能を見いだしつつあります。
2層カーボンナノチューブは我々が世界に先駆けて生成・精製法を開発し、その新しい特性を見いだしてきたカーボンナノチューブです。
単層や2層のナノチューブに物質を内包させたり、短くしたり、さらに化学的な修飾を施すことでナノチューブの特性が変化し、新たな可能性が見いだせます。
1000度以上の高温で数100マイクロ秒~数ミリ秒のパルスアーク放電を行い、触媒金属が混合された電極を蒸発させ、2層カーボンナノチューブなど新しいカーボンナノチューブを生成する手法です。
原子が数個から数百個集合したものです。ナノ物質として一番早くから注目されてきたものの一つです。フラーレンも一番はじめは炭素クラスターとして発見されました。一般的に物質を蒸発・急冷させた後直ちに質量分析を行うことにより検出します。われわれは、炭素や金属、塩類などのクラスターを生成分析する質量分析・気相移動度測定を中心とした新しい手法を開発することにより、物質の新しい可能性を見いだそうとしています。
質量分析は物質の"重さ"や原子数を高感度・高速にできる手法です。2002年のノーベル化学賞が質量分析で生体分子の検出を可能にした田中耕一先生に与えられました。具体的には物質のイオンを真空中に取り出し、電場による加速運動を行わせます。この電場による運動が質量に強く依存することを利用して質量を分析します。検出は電子増倍管と呼ばれるものを用いています。この検出器は一個のイオンから数百万個もの電子を生成するため、イオン一個でも検出できる高感度測定が可能です。
質量分析が物質の"重さ"や原子数を検出するのにたいし、この手法は物質の"形"を検出するところに特徴があります。具体的には物質のイオンを気相中で電場泳動(ドリフト)させ、そのドリフト速度が物質の重さではなく形に依存することを利用しています。イオンの検出には質量分析と同様電子増倍管を使用できるため、質量分析と同様な高感度測定が可能です。
気相移動度測定でクラスターやナノ物質の構造解析が行えます。ここに挙げる例は、金属内包フラーレンです。金属内包フラーレンは化学的・機械的に丈夫な籠状炭素骨格であるフラーレンの内部に金属原子を内包したもので、金属原子由来の特異な光学・磁気特性を安定な物質として取り出せることが特徴です。フラーレンのサイズや金属の種類や個数などで大きく特性が変化するため、その構造解析は重要です。従来は構造異性体を単離してから、NMRやX線構造解析を行っていました。しかし、この単離にかなりの時間と手間を必要とすることから、混合物でも分離した形でそれぞれの構造を高感度に検出することが望まれています。
気相移動度測定はその一つであり、アメリカIndiana State UniversityのM.F.Jarrold先生と共同で測定を行い、下の図のような結果が得られました。この図の横軸は、ある一定距離を泳動(ドリフト)するために必要な時間であり、長いほどイオンのドリフト速度が小さく、イオンの構造がかさ高く大きいことを示しています。下図の一番上の段はC80+であり、2番目の段のC82+は明らかにC80+よりもドリフト時間が長く、かさ高い構造を持っていることがわかります。Sc原子を一個内包したSc@C82+はC82+とほぼ同様なドリフト時間を示し、同じ構造、すなわちC82がSc原子一個を内包している構造を持っていることがわかります。この「@」マークは炭素殻に内包されているということを表しています。一方Sc原子を二個内包したSc2@C82+はC82+とほぼ同様なドリフト時間を示すものと、それよりドリフト時間の短くC80+と同じドリフト時間を示しているものがあることがわかります。これは、Sc原子を二個内包しているものは、下図のようにC82に二個Sc原子が内包されているものと、それよりも全体のかさが小さいScが二個、炭素原子が二個、計四個の原子がCC80に内包されたものの二つの構造を持っていることがわかります。
Scを三個内包したものは、この手法ではSc3C2@C80の構造のものしか見つかりませんでした。このように、従来一つ一つの構造異性体を単離してNMRやX線回折などで構造を調べていくしかなかった、金属内包フラーレンの構造を、非常に短時間で、混合物から、さまざまなサイズと金属の個数について一連の構造解析ができることがわかりました。このようにして得られた金属と炭素が同時に内包された物質は「カーバイド型金属内包フラーレン」という新たに分類され、数多く種類が単離され構造解析されています。この手法はこれらの「カーバイド型金属内包フラーレン」が非常に普遍的な物質であることを示し、特にScが三個内包されたものについては、初めてカーバイド型が主要な構造であることを示した測定です。現在より広いサイズ範囲での測定や、異なる金属での構造を調べているところです。
上に示した、金属内包フラーレンの構造解析に活用できたように、クラスターやフラーレンのみならず、構造が特性に大きく影響するナノ科学において、その構造を測定することは極めて重要です。われわれは現在この手法を発展させ、ナノ物質全般にこの気相移動度法を活用できるように、感度と分解能の向上を試みています。
ナノ物質の微細な構造をきちんと区別し、しかもわずかな量のナノ物質でも検出できるようにするには、感度と分解能を共に向上させることが重要です。気相移動度法は、イオン検出を行っているため本質的な感度は高いのですが、質量分析と異なり極めて多量の気体中でのイオンを活用しているために、イオンの気体中での拡散が問題となっています。また分解能を向上させるためには、高い電圧を加えできるだけ長い距離をドリフトさせる必要がありますが、大きな装置になることと、高い電圧による放電などが問題になっています。これら二つの問題を解決するために、われわれはイオントラップを活用した気相移動度測定システムを開発しています。
下の図は、大気中にトラップされた荷電微粒子が、空気中の水分を吸収し2時間という間に次第に粒子サイズが大きくなっていく様子を示しています。ドリフト速度が大きいと振幅が大きく、ドリフト速度が小さいと振幅が小さくなるため、生成直後はサイズが小さく、振幅が大きいのですが、トラップされている間に粒子サイズが大きくなり、振幅が小さくなります。このように粒子サイズの変化を追跡することができます。現在多様なナノ物質にも展開できるようにシステムを開発しています。
上に挙げた研究を遂行するために、様々な機器を開発して取り組むのが当研究室の特徴です。特に電子機器開発のための基板切削加工器なども取り入れ、放電電源や温度制御などの制御機器、質量分析や気相移動度のためのイオン検出やイオン運動制御のための回路製作もしています。近年は電子デバイスの高機能化・低価格化によりこれらの開発がかなり容易になっています。さらに、組み込みマイクロコントローラーやFPGAなどの高度論理回路とその開発ツールが一般的になってきたため、組み込みネットワークやOS制御など、専門外の我々でも高機能電子機器の開発が可能になっています。
イオントラップ気相移動度測定システムを稼働させるためには、トラップ用の高周波電源と気相移動度測定用の低周波電源を高度に組み合わせた、電源が必要です。これらを図のように開発しています。現在は新規開発している移動度システムを駆動する高集積型電源を基板加工機や組み込みマイクロコントローラーを駆使して開発しています。
電子機器開発にも示しましたが、近年の電子機器開発はかなりの部分がソフトウェアに依存しています。C++などのコンパイラー言語やLuaなどのスクリプト言語で開発します。また、実験データの解析やシミュレーションも行い、画像化・動画化します。